〇△鹿

面白くもなんともないこの世を、もっと面白く。

民族学について

民族学について、最近勉強したいと思っている。

柳田国男がやっぱり有名だけれど、他にも有名な人はいるらしい。

(そりゃそうだ)

 

野山に分け入る民俗学者は、みんな丸眼鏡をかけている。

持ち物といえば丸い水筒と小さなナップザックだけ。

中には数日分の着替えと、少しの食料と本が2冊。

ポケットにはメモ帳と鉛筆と地図。

決して民俗学者スマホなんて持っていないのである。

グーグルアースも使わないのである。

首から下がる、カメラくらいなら許します。

 

顔は平凡な方が利便性がよい。

村の人たちはきっと、あまりに顔の良い人や体の丈夫そうな若者だと、

村からださないようにするだろうから、

冴えない中年男性がいいのです。

いつだって、民俗学者が赴くような地域は過疎化に喘いでいるのです。

よい遺伝子は危険ですよ。

 

そういえば、どこかで民俗学は滅びゆく学問だと、聞いたことがあります。

消えていく文化を、どうにか未来へ伝えようとする学問だと。

件の柳田さんは、

「民話にこそ、日本人の精神が籠っている。

だからこそ民俗学には価値があるんだ」

という旨を、何かの本の序文に書いていました。

でも私は「柳田さん、ホントは単純にそういう話が好きだっただけではないのかな」

と思うのです。

 

お爺ちゃんやお婆ちゃんの話って、とても面白いでしょう?

記憶があやふやになって、おんなじ話を繰り返すからうんざりしてしまうけれど、

お年寄りの不思議な話が、私は一番魅力的だと思います。

 

とつとつという語り、皺だらけの口元、身振りする干からびた手

不思議を語るに、これほどぴったりのものはありません。

民族が受け継いできたものは、口伝のものが多いのですが、

それも昔語りの魅力が支えていたのだと思います。

 

だから、文字にした時点で民話はその本来の力を失ってしまうのではないかしら。

柳田さんは、本当の民話を味わいたくて岩手くんだりまで、

出向いたのではないのでしょうか。

そう考えると、私は人の話を聞くことから民俗について学びたいと思います。

日本の民族性が、今を生きている人の昔語りの中にあるのなら、

それはとても素敵なことですね。