〇△鹿

面白くもなんともないこの世を、もっと面白く。

羨ましこと

聞いた話がすごい面白かったとき、

それをそのまま他の人に伝えることができればいいのに。

けれども、それはそんなにうまくはいかない。

 

あれってなんでなんだろう。

話しの流れも、上手くなぞられたと思っても、

聞いたときの鮮やかな面白さを再現するのは難しい。

 

自分で経験した話が、やっぱり一番面白いのかもしれない。

話がうまくなりたいなら、もっと外にでるべきなんでしょうね。

 

同僚のSさんの話がとても面白いんです。

それは、それだけ彼女がいろいろな経験をしているから。

すごく美人のアダルトショップのオーナーに会ったとか

生きるために人を殺そうとしたとか

経験しているからこそ、迫力があるんだなぁ。

別に、同じ体験がしたいわけではないのだけれど。

 

でも、面白い話をできる人が、昔から羨ましい。

もっと聞きたいと思わせる話術に憧れる。

あぁ、私もSさんくらい、面白くものを伝えられるようになりたい。

とてもとても羨ましいんです。

 

私はなにかと不器用で鈍感な方なのに、

やたらめったら第六感とか、直観めいたものに惹かれるのです。

この間も占い師に「あなた、霊感ないよ」とキッパリ言われたことに

大分ショックを受けてウダウダと悲しんだりしていました。

(ウダウダと悲しむ性格とも、占い師に言われたのでしたが)

 

Sさんの語りは、私にとって輝かしい才能であります。

けれども当の本人はそれに全然きづいていないのですよね。

その素直さが、ちょっぴりうらめしい。

Sさん、それはとても素敵なあなたの才能ですよ。

それを自覚してほしいし、自覚してほしくないし

でもでも、Sさんの話がもっといっぱい聞きたいなぁ。

 

 

 

 

 

 

民族学について

民族学について、最近勉強したいと思っている。

柳田国男がやっぱり有名だけれど、他にも有名な人はいるらしい。

(そりゃそうだ)

 

野山に分け入る民俗学者は、みんな丸眼鏡をかけている。

持ち物といえば丸い水筒と小さなナップザックだけ。

中には数日分の着替えと、少しの食料と本が2冊。

ポケットにはメモ帳と鉛筆と地図。

決して民俗学者スマホなんて持っていないのである。

グーグルアースも使わないのである。

首から下がる、カメラくらいなら許します。

 

顔は平凡な方が利便性がよい。

村の人たちはきっと、あまりに顔の良い人や体の丈夫そうな若者だと、

村からださないようにするだろうから、

冴えない中年男性がいいのです。

いつだって、民俗学者が赴くような地域は過疎化に喘いでいるのです。

よい遺伝子は危険ですよ。

 

そういえば、どこかで民俗学は滅びゆく学問だと、聞いたことがあります。

消えていく文化を、どうにか未来へ伝えようとする学問だと。

件の柳田さんは、

「民話にこそ、日本人の精神が籠っている。

だからこそ民俗学には価値があるんだ」

という旨を、何かの本の序文に書いていました。

でも私は「柳田さん、ホントは単純にそういう話が好きだっただけではないのかな」

と思うのです。

 

お爺ちゃんやお婆ちゃんの話って、とても面白いでしょう?

記憶があやふやになって、おんなじ話を繰り返すからうんざりしてしまうけれど、

お年寄りの不思議な話が、私は一番魅力的だと思います。

 

とつとつという語り、皺だらけの口元、身振りする干からびた手

不思議を語るに、これほどぴったりのものはありません。

民族が受け継いできたものは、口伝のものが多いのですが、

それも昔語りの魅力が支えていたのだと思います。

 

だから、文字にした時点で民話はその本来の力を失ってしまうのではないかしら。

柳田さんは、本当の民話を味わいたくて岩手くんだりまで、

出向いたのではないのでしょうか。

そう考えると、私は人の話を聞くことから民俗について学びたいと思います。

日本の民族性が、今を生きている人の昔語りの中にあるのなら、

それはとても素敵なことですね。

 

 

面白くはないけど、とっても面白い世界へ

子どもの頃に思っていたほど、実際の世界はそんなに面白くなくて──

奇跡とも不思議とも、待ってるだけでは出会えなかった。

 

空から女の子が降ってくるとか、

見慣れない小道に迷い込むとか、

私は、そういうものをずっと期待していたんですよ。

だから慣れない町を、自らブラブラと歩いてみたりするんですよ。

不思議との出会いをずっと探しているんですよ。

いい年して、お恥ずかしながら。

 

そうすると、小さな古本屋をみつけたり、

吹く風に忘れていた思い出が蘇ったり、

奇妙に町を照らす夕暮れに行き当たったり、

そういう瞬間には出会えました。

 

そういうのも、全然、悪くない。

子どもの頃に思い描いた奇跡よりも、ずっと地味だけど、

こういう夜に変わる一瞬前の景色のような、意識しないと見えない日常も、

随分と立派な奇跡だと思います。

 

そういうのには、「物語」が宿ります。

景色は、そっと内側に特別なお話を秘めています。

この世は、ただ待っているだけではツマラナイ。

茫然と眺めるだけではアジケナイ。

ツマラナイとアジケナイと、思ってしまうには、とてもモッタイナイ、のです。

もうちょっと、もうちょっとだけ、見つめて祈って探り出してみませんか?

私と一緒に、世界の面白さについて。